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豊臣兄弟!あさひの輿入れは第40回!史実は1586年で離縁説は2つ

本記事はプロモーションを含みます。

【結論】

大河ドラマ「豊臣兄弟!」第40回「あさひの輿入れ」は、10月18日の放送回です。史実の旭姫は1586年(天正14年)に家康の継室となり、「無理やり離縁させられた」という通説のほかに、離縁は4年前だったとする異説もあります。

今夜は、あさひが家康のもとへ嫁ぐ回ですね。
「本当に夫と引き裂かれたの?」と気になって、調べている方も多いと思います。

結論から言うと、通説では秀吉が無理に離縁させたとされています。
ただ、近年は「離縁は輿入れの4年前で、家康側が望んだ縁組だった」という説も紹介されています。

この記事では、ドラマの設定と史実を分けて整理しました。
どこまでが確かで、どこからが説なのかも、あわせて書いています。

この記事でわかること

  • 第40回「あさひの輿入れ」で描かれる、あさひと家康の結婚
  • 史実の旭姫は、1586年(天正14年)に家康の継室になったこと
  • 離縁をめぐる2つの説(通説と異説)の違い
  • 前夫の名前が史料で確定していない理由
  • 旭姫のその後と、亡くなった年

第40回「あさひの輿入れ」は10月18日放送

「豊臣兄弟!」は、NHK総合で日曜夜8時から放送されています。
1回は約45分で、NHK ONEでも同時配信と見逃し配信が行われています。

第40回のタイトルは「あさひの輿入れ」です。
あさひを演じるのは倉沢杏菜さんで、家康役は松下洸平さん、秀吉役は池松壮亮さんです。
主演の仲野太賀さんは、秀吉の弟・小一郎(のちの秀長)を演じています。

ドラマでは、家康が秀吉に服従しない姿勢を見せます。
そこで秀吉の妹のあさひが、家康のもとへ嫁ぐ流れが描かれています。

ポイント:放送回の数字は、番組情報で確認しています。念のため、NHK公式サイトの放送回一覧でも確認してください。

ドラマの人物関係や史実をじっくり知りたい方は、関連のガイドブックをこちらから探せます。

史実の旭姫は1586年に家康の継室になった

史実の旭姫は、秀吉の妹です。
生まれは天文12年(1543年)と、浜松市の家康公年表にあります。
家康が天文11年生まれなので、ほぼ同い年ということになります。

家康のもとへ嫁いだのは、天正14年(1586年)の4〜5月ごろです。
家康にとっては、後添えの正室にあたる「継室」でした。
婚儀の日付は、4月28日説と5月9日説に分かれています。

結婚の目的は家康を従わせること

この結婚は、秀吉が家康を臣従させるための政略結婚だったと考えられています。
当時の家康は、秀吉と距離を置いていました。
そこで秀吉は、妹を嫁がせて関係を固めようとしたわけです。

背景には、1584年の小牧・長久手の戦いがあります。
この戦いのあとも、家康は秀吉に簡単には従いませんでした。
力で押し切るのが難しかったため、秀吉は婚姻という方法を選んだ、と説明されることが多いです。

さらに、同じ年の10月には、秀吉の母・大政所が人質として家康のもとへ下りました。
この2つがセットになって、家康の上洛が実現したと言われています。
妹と母を差し出すほど、秀吉は家康を重く見ていたことになりますね。

出典:浜松市「家康公年表」、東洋経済オンライン、PRESIDENT Online(濱田浩一郎氏の解説)などの記事

離縁をめぐる2つの説

旭姫には、家康に嫁ぐ前に夫がいました。
この夫と別れて家康に嫁いだ、という点は通説でも異説でも共通しています。
違うのは「いつ」「誰の意向で」別れたのか、という部分です。

通説:輿入れの直前に、秀吉が離縁させた

よく知られているのは、輿入れ直前に秀吉が無理に離縁させたという話です。
愛知県の公式観光サイトでも、旭姫は「無理やり離縁させられた」と紹介されています。
ドラマがどちらの説に近い描き方をするのかは、放送を見て確かめたいところです。

異説:離縁は4年前で、家康が望んだ縁組

これに対して、『武家事紀』という書物に基づく異説があります。
それによると、離縁は家康との結婚より4年前で、縁組を望んだのも家康側だったそうです。
4年前というと、本能寺の変の直後にあたります。

ただし、『武家事紀』も江戸時代の前期にできた書物です。
当時そのまま書かれた記録ではないので、どちらの説も「確定」とは言えません。

  • 通説:天正14年の輿入れの直前に、秀吉が離縁させた
  • 異説:離縁は輿入れの4年前で、縁組は家康側の希望だった
  • 共通点:旭姫には、家康に嫁ぐ前に夫がいた

前夫の名前は史料で確定していない

前夫の名前には、主に2つの説があります。
ひとつは「佐治日向守」説、もうひとつは「副田甚兵衛(吉成)」説です。

佐治日向守の名前は、天保4年(1833年)にできた『改正三河後風土記』に出てきます。
ただ、この書物には偽書ではないかという指摘もあります。
近年の紹介記事では、副田甚兵衛の名前が使われることが多いようです。

どちらの説も、旭姫の時代から大きく後の書物が最初に出てくる場所です。
そのため、実名は史料上はっきり確定していません。
ドラマでは夫の名前が「甚助」となっていて、副田甚兵衛説に沿った設定です。

ポイント:ドラマの設定は、史実の根拠そのものではありません。史実の部分は、あくまで「説」として受け取るのが安全です。

旭姫のその後と亡くなった年

旭姫は、天正18年(1590年)の1月14日(旧暦)に亡くなったとされています。
年齢は48歳です。
『徳川幕府家譜』などが典拠として挙げられています。

亡くなった場所には、2つの記述があります。
京都の聚楽第とする記述と、家康が京都の東福寺に葬り、南明院を建てたとする説です。
どちらが正しいかは、今回確認した範囲では決められませんでした。

結婚から亡くなるまで、およそ4年です。
短い期間ですが、秀吉と家康をつなぐ立場に置かれた人だったことは、多くの解説で共通しています。

ドラマを楽しむためのポイント

史実と違う描き方がされていても、ドラマとしては自然なことです。
ここまでの説を頭に入れておくと、ドラマの描写がどの説に近いかを楽しめます。

  • あさひが夫と別れる場面が、いつの設定で描かれるか
  • 家康が、この縁組をどう受け止めるか
  • 秀吉と小一郎の兄弟が、あさひにどう向き合うか
  • 大政所が登場する場面があるかどうか

内容については、放送を見てからの感想になります。
気になる方は、NHK ONEの見逃し配信で見返してみてください。

豊臣兄弟!のあさひに関するQ&A

第40回はいつ放送されますか?

2026年10月18日(日)の夜8時から、NHK総合で放送されます。NHK ONEでも同時配信と見逃し配信があります。

あさひを演じているのは誰ですか?

倉沢杏菜さんです。家康役は松下洸平さん、秀吉役は池松壮亮さんが演じています。

史実の旭姫が家康に嫁いだのはいつですか?

天正14年(1586年)の4〜5月ごろとされています。婚儀の日付は、4月28日説と5月9日説があります。

旭姫は本当に無理やり離縁させられたのですか?

通説ではそう言われています。ただ、離縁は4年前で家康側が望んだ縁組だったという異説もあり、どちらも確定とは言えません。

旭姫の前夫は誰ですか?

佐治日向守説と副田甚兵衛説があります。どちらも後世の書物が出典で、実名は史料上確定していません。

まとめ

第40回「あさひの輿入れ」は、10月18日の放送です。
史実の旭姫は、1586年に家康の継室として嫁ぎました。

離縁については、通説と異説の2つがあります。
どちらも、同時代の記録で確かめられたものではありません。
ドラマと史実を分けて見ると、より楽しめると思います。

この記事の史実部分は、複数の解説記事をもとにまとめています。
諸説あるところは、断定せずに「説」として書きました。

放送回の内容や配信の条件は、NHKの公式サイトで確認してください。

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